出雲に神様が集まるのはなぜだろう?出雲が神在月とされる4つの理由
旧暦10月、日本全国では神無月と言いますね。
当たり前のように受け入れられていますが、よくよく考えてみれば
「なぜ神様がいない月なんだろう?」
と疑問を持つ方もおられます。
実は10月(正式には旧暦10月)には神様たちが出雲に集まっているのです。
そして、その時期には神様たちが世の中の様々なご縁について会議をする神議(かむはかり・かみはかり)が行われています。
それゆえに出雲地域のみ10月は神在月と呼ばれています。
では、なぜ神々が出雲の地に集まるのでしょうか?
本記事では、出雲に神様が集まると考えられる理由をご紹介します。
目次
出雲に神様が集まる理由とは?
神様が出雲に集まる理由を探る上で参考にしたのは、こちらの書籍です。
神在月や神在祭に関する神事、出雲大社以外の神社の神在祭の様子など詳細にレポートされています。
関連記事▶︎八百万の神々は出雲のどこを巡るの?出雲大社以外で神在祭を行う神社は?
こちらの書籍で、島根県立古代出雲歴史博物館学芸企画課長(当時)・品川知彦氏は、4つの考え方を伝えています。
- 陰陽説
- 出雲大社の祭神が10月を支配している
- オオクニヌシノミコトが幽事(ゆうじ)を治めている
- イザナミノミコトへの孝行のため
なんだか、壮大な話になっていきそうですね。
神様の名前出されてもややこしい!よくわからないよ!
っていうツッコミをいただきそうなので、最低限の神様の名前だけを用いて解説していきますね。
①陰陽説
この陰陽太極図をご覧になったことはありますか?
陰陽道の考え方を具現化したシンボルとも言えるものです。
陰陽道といえば、安倍晴明が有名です。映画でも流行りましたね。
- 陰陽(陰と陽に分類)
- 五行(「木・火・土・金・水」で構成)
この二つの組み合わせで、万物の原理を明らかにしようとした易学の考え。
中国の殷の時代(3000年以上前)に発達し、のちに八卦などの占いや道教・儒教にも影響を与えます。
大和朝廷と出雲の位置関係
さて、出雲大社創建当時、世の中は大和朝廷が治めていまして、
大和朝廷があったとされる畿内から、出雲方面は北西の方角にあたります。
陰陽では、
「極陰の時、極陰の場所にすべての陽が集まることによって、世界が再生する」
とされていて、かつ
- 極陰の時=10月
- 極陰の方向=乾の方向(北西)
- すべての陽=日本中の神々(八百万の神)
と考えられているのです。
つまり、陰陽説からすれば、
極陰の10月に、極陰の場所の出雲に、すべての神様(陽)が集まる
わけです。
なんだかこの説だけで納得できちゃいませんか?
でも、まだまだ他にも出雲に神様が集まるとされる根拠があるんです。
②出雲大社の祭神が10月を支配している
2つ目の考え方、それは出雲大社の祭神が10月を支配しているという考え方です。
出雲大社の御祭神といえば、オオクニヌシノミコトで有名ですね。
しかし、中世の頃はもともとスサノオノミコトが御祭神だったと考えられています。
スサノオノミコトといえば、天の上の国・高天原で数々の”おいた”をやらかした暴れん坊。
天上界では、たんぼのあぜ道を壊したり、溝を埋めたり、お米のある神殿に糞便を撒き散らしたりとやりたい放題していました。
平安時代初期に編纂された「古今和歌集序聞書三流三流抄」には、
「高天原で数々の所業を行ったスサノオノミコトをなだめるために、アマテラスノミコトがスサノオノミコトを養子とし十月をスサノオノミコトに譲った」
といった内容の記述があります。
弟を養子にするという、現代では不可解な関係がひっかかるところですが、神様の世界ではありのようです。。。
また、江戸時代の「国造北島氏願書案」には、
「年中十二月之内十月を大社明神御つかさとり給」
と記されています。
少なくとも江戸時代に、出雲大社はスサノオノミコトが十月を支配していることを神が集まる理由と考えていたことがわかります。
③幽事を治めるオオクニヌシ説
3つ目の理由。
それは、出雲の国造りを行ったオオクニヌシノミコトが幽事を治めているから、神々が集うという考えです。
「日本書紀」には、オオクニヌシノミコトが出雲の国をアマテラスノミコトの遣いに譲る約束をする、国譲り神話があります。
タカミムスヒ(最初に現れた造化三神)に対してオオクニヌシノミコトは、葦原中津国(地上の国・出雲)の政治的な支配を譲り、幽事(目に見えない世界)を治めると答えます。
その後、出雲大社の御神徳や信仰を日本中に広める御師(おんし)が、
「出雲には神在月に八百万の神々が集い、男女の円を結んで子孫を繁栄させる」
といった考えを広めていきます。
出雲大社ではこの考え方に基づいて、現在に至るまで神集いを説明しています。
私自身、オオクニヌシ幽事説が正しいと捉えていました。
一番馴染み深い考え方と言えそうですね。
④イザナミ孝行説
最後にご紹介するのが、祖神でもあるイザナミノミコトへの孝行のために出雲に集まるという考え方です。
イザナミノミコトといえば、イザナキノミコトとともに国土や様々な神様を生み出した祖神とも言える神様です。
十五世紀末の文献によれば、イザナミノミコトが十月に崩御したため、十月を神無月といい、
十六世紀の文献では、佐太神社にイザナミノミコトが埋葬されたとされています。
現代風に言えば、
イザナミノミコトの法事のため、十月に神々が集っていると言えるでしょう。
なぜか、急に人間じみたお話しになりましたね。
ちなみに、今は佐太大神が主祭神となっている佐太神社。
実は明治になるまでは、イザナキノミコトとイザナミノミコトが主祭神だったようです。
出雲地域に神様が集まる理由には様々な説があった
なぜ神様が出雲にあつまり、神在月と呼ばれるのだろう?という疑問から、理由を4つ紹介しました。
- 陰陽説
- 出雲大社の祭神が10月を支配している
- オオクニヌシノミコトが幽事(ゆうじ)を治めている
- イザナミノミコトへの孝行のため
どれを正しいとするかは、みなさんにお任せします。
ただ、少なくとも日本書紀(奈良時代)などの古い文献にも残されているのは事実です。
古くから同じような考え方がされてきているのであれば、
それはもはや事実であると言ってもいいのではないでしょうか。
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