出雲大社鳥居の特徴を解説!なぜ四つあるの?歴史ミステリーに迫ってみた!
出雲大社参拝前には四つの鳥居のことを学んでおきましょう!
本記事では、
✔︎四つの鳥居の特徴
✔︎鳥居に隠された歴史のミステリー
について解説していきます。
目次
そもそも鳥居とはなんぞや?
そもそも神社の鳥居とはなんのためにあるのかご存知でしょうか?
鳥居は神社を表示し、また神社の神聖さを象徴する建造物ともいえます。
鳥居は神社の内と外を分ける境に立てられ、鳥居の内は神様がお鎮まりになる御神域として尊ばれます。
また、特定の神殿(本殿)を持たず、山など自然物を御神体、または依代よりしろとしてお祀りしている神社の中には、その前に鳥居が立てられ、神様の御存在を現すものとして重視されています。
引用:神社庁ホームページより
鳥居は、”我々の暮らす俗世”と”神域”との境界を示すものなんですね。
そういえば、地図では神社を示すマークが鳥居になっていますよね。
鳥居とは、神様はここにいますよー!と存在を表す象徴でもあるわけです。
出雲大社の4つの鳥居の特徴と歴史
まずは出雲大社にある4つの鳥居の特徴をご紹介していきます。
出雲大社第一の鳥居|宇迦橋の大鳥居
鉄筋コンクリート製で、大きさは高さ23m、太さ6m、くぐる部分は畳6畳分。とにかくでかいです!
建立は1915(大正4)年のことで、大正天皇の即位と前年整備された神前通り(宇迦橋の大鳥居より先に伸びている)のシンボルとすること。
建立当時は日本一高い鳥居だったそうです。(2019年現在は10番目の大きさ)
出雲大社第二の鳥居|勢溜の鳥居
出雲大社の正門とも言われており、写真撮影スポットとしてよく見かける場所です。
木製の鳥居が老朽化していたため、2018年10月にCOR-TEN?という特別な鋼(耐候性鋼)で建て替えれました。
「勢溜」とは、江戸時代に芝居小屋があって、参拝にやってきた方たちが一度足を止めるさまが勢いをためているように見えるところからきています。
出雲駅伝(3大大学駅伝の1つ)のスタート地点になっているのも勢溜の由来から来ているのもしれませんね。
出雲大社第三の鳥居|松の参道の鳥居
鉄製の重厚な鳥居です。
鳥居から本殿まで続く樹齢400年を誇る松並木が荘厳な雰囲気をかもし出します。
鳥居がそびえる真ん中の道は松の根を保護するために通行禁止と表示されていますが、
もともと皇族など高貴な方専用の道とも、神様が通る道とも言われています。
出雲大社第四の鳥居|拝殿前の鳥居
拝殿直前の鳥居は青銅でできています。
江戸時代前期、長州藩主だった毛利綱広(戦国武将毛利元就の子孫)の寄進によるものです。
注意!宇迦橋の大鳥居見逃さないで!
ありがちなんですが、宇迦橋の大鳥居を見逃して、勢溜の鳥居から参拝してしまう方が多いです。
まぁ、よく知られているのが勢溜の鳥居ですし、駐車場が宇迦橋の内側にあるので仕方ないですが。。。
鳥居は全部しっかりくぐりたい!という方は、吉兆館の駐車場に駐車して参拝をスタートするのがベターです。
ただ、宇迦橋の大鳥居から勢溜の鳥居までは10分ほど歩きます。
年配の方や足の不自由な方と参拝するのであれば、車でくぐるという方法をオススメします。
鳥居から想像する、出雲大社のミステリー
ここからは鳥居に関するミステリーをお届けします。
突然ですが、
「出雲大社の鳥居は、怨念を封じ込める結界である。」
なんて言われたら、え!?って思いますよね。
事前にお伝えしておきますが、これは完全に自論です。
でも、出雲地域で生活を続け、神話を学んでいくつれて、あんでぃ的にはこのような結論に至ったわけで、これからその根拠をお伝えしていきます。
出雲大社の鳥居が「怨念を封じ込める結界」である理由
さて、本題に戻ります。
なぜ、怨念を封じ込める結界だと思ったのか。
当時かなり栄えていた出雲国の歴史を振り返ってみるとその答えが見えてきます。
国譲り神話の概要
出雲大社建立のきっかけとなる出来事は「国譲り」という神話がきっかけです。
その経緯を要約してみましょう。
関係する書物
古事記:712年 大和朝廷が編纂
出雲国風土記:733年 出雲国の国庁が編纂
【ポイント】先に当時の政府が古事記を書き残し、約20年後に出雲の国の人が風土記を残している。
登場人物
・出雲国を治めいていた大国主命(オオクニヌシノミコト)
・大和国を治めていた天照大御神(アマテラスオオミカミ)
ストーリー(古事記によれば)
出雲の国を平和に治めていたオオクニヌシノミコトのもとに、アマテラスオオミカミの遣いがやってきて、こう言います。
「あんたの国を、アマテラス様に譲りなさいな」
突然のことに驚くオオクニヌシノミコトでしたが、大事な客人なので接待をします。
オオクニヌシノミコトの接待に気をよくした遣いは気づいたらオオクニヌシノミコトの人柄に惹かれ、自分のお遣いを忘れてしまいます。
アマテラスオオミカミは2人目の遣いをよこしますが、同じ結果に。
3人目の遣いは強引に話しを進め、力比べで決着をつけようと提案します。
結果的に力比べに負けたオオクニヌシノミコトは
「お言葉通りに全て献上します。」
と、アマテラスオオミカミに出雲の国を譲ることになります。
国譲りストーリー(出雲国風土記によれば)
出雲の国を平和に治めていたオオクニヌシノミコトのもとに、アマテラスオオミカミの遣いがやってきて、こう言います。
「あんたの国を、アマテラス様に譲りなさいな」
オオクニヌシノミコトはこう答えます。
「私が支配していた国は、アマテラスオオミカミに統治権を譲りましょう。
ただし、出雲の国だけは今後も鎮座する国として、私が守ります」
国譲り神話の矛盾
古事記と出雲国風土記の違い、その矛盾に気づきましたか?
古事記:出雲の国を譲っている
出雲国風土記:出雲の国以外を譲っている
政府が記した歴史書(古事記)と違うことを、20年後に出雲の人が違う解釈(出雲国風土記)を記しているのです。
これをミステリーと呼ばずになんといいましょう!
新説:国譲り神話と出雲大社の鳥居の関係
ここからはあんでぃの想像です。お付き合い下さい。
国を譲れ!と迫り来るアマテラスオオミカミのプレッシャー。
オオクニヌシノミコトはこのままでは大群が押し寄せてくると判断し、出雲の国以外の占領地をアマテラスオオミカミに献上する苦渋の決断を下します。
遣いはその報告をアマテラスオオミカミに伝えます。すると、
「出雲の国が大事なの!オオクニヌシを神様と仰ぐあの国中の人間ごと根絶やしにしてしまえ!」
とヒステリーをおこします。
ほどなく大和の軍勢が出雲を攻め立てます。
未だかつてない大量虐殺を行い、とうとう出雲の国を手中に治めます。
生き残った出雲の人々の怨念を恐れた大和朝廷。
オオクニヌシノミコトを祀る神殿を建立し、周りに怨念を封印する結界として、四重にも鳥居を張り巡らせることになります。
まとめ:出雲大社の鳥居の歴史を紐解くと、そこにはミステリーがあった。
神話を探ってみると、なんかおかしいな?と思うことが多々あり、あんでぃなりの解釈を加えてみました。
宇迦橋の大鳥居も勢溜の鳥居も現存するのは20世紀になってからのものです。
ただ、その前から存在していた可能性は十分にありますし、無意識的に結界として建てられた可能性もなくはありません。
また、主祭神でもあるオオクニヌシノミコトが本殿正面を向いていないというのも、関係がありそうな気がしています。
いかがでしたでしょうか?
書物が残されるもっと昔のお話ですので、本当のことは誰にもわかりませんので、信じるか信じないかはあなた次第です!
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