八重垣神社にあるパワースポット=夫婦椿|東京銀座資生堂とも意外な関係が!?
松江市にある縁結びの神社としても有名な八重垣神社。
神社周辺や境内に、夫婦椿(めおとつばき)と呼ばれる不思議な椿があることはご存知でしょうか?
この夫婦椿を調べてみると、まさにパワースポットと呼ぶにふさわしく感じましたよ!
目次
夫婦椿とは一体?
そもそも夫婦椿とはなんぞや?
ってことですが、こちらは境内外にある夫婦椿の説明書きをご紹介します。
連理玉椿(夫婦椿ともいう)は昔稲田姫命が二本の椿の枝を御立てになられた。
それが芽を吹き出し一心同体、愛の象徴として神聖視されるようになり、木が枯れても境内には二股の椿が発生すると伝えられ、現在境内には3本の夫婦椿があります。
年により二葉の葉も現れることもあります。
東京資生堂の花椿会は此の玉椿の名木を神聖視し、発展されておりここにも美容調整の御神徳があります。
つまりは、
「スサノオノミコトと結ばれたクシナダヒメが、二本の椿を植えたところ、二股の椿が発生するようになった。
その椿を神聖視するようになった東京資生堂は大きく発展したので、美容の御神徳もある。」
といったように、美容や夫婦円満の御神徳が得られると考えられています。
出雲との深い関係によって資生堂は発展した!?
資生堂と出雲は古くから関係があります。
資生堂が1872年に日本初の調剤薬局として創業した場所は現在の東京都中央区銀座7丁目。
ここは徳川幕府の江戸開府に伴うまちづくりのために松江藩が担当していたため、江戸時代から1930年まで「出雲町」と呼ばれていました。
その後、資生堂には危機が訪れます。
1923年の関東大震災で店舗が消失し、1928年に再建したものの、翌年に昭和恐慌を迎えます。
不況が長引く中、資生堂は起死回生のプロモーションを実施します。
商売繁盛の願いを込めた、出雲大社のお札を客に配布し始めたのです。
ご利益があると話題になり、新商品がヒット。
どうにか苦難を乗り越えました。
その後、資生堂の幹部は毎年出雲大社へ参拝をしており、全国約1万の販売店には毎年お札を配っています。
1935年頃からは、銀座資生堂の前の通りに椿が植えられるようになり、「花椿通り」と呼ばれるようになりました。
東京銀座資生堂ビル・資生堂パーラー前の花椿通りには、1993年に出雲市から贈られた出雲椿(ヤブツバキ)の木が植えられ、資生堂からは出雲市に柳の木が贈呈され、出雲伝承館前の公園に植えられています。
資生堂の社章をみてみよう
こちらは資生堂の社章の変遷です。
左から1915年・1919年・現在
資生堂はかつて鷹がモチーフだった社章を椿に変更しています。
1915年に当時ヒットしていた「香油花椿」から着想を得て、資生堂の初代社長である福原信三氏自らが手がけ、社章を「花椿」に改めました。
出雲椿がきっかけではありませんが、出雲信仰を深めた福原氏が八重垣神社に夫婦椿があることを知って、その不思議なご縁に驚いたことでしょう。
八重垣神社の夫婦椿
では、八重垣神社の夫婦椿をご紹介しましょう。
引用:八重垣神社
八重垣神社の夫婦椿は3箇所あります。
- 地図の①のそば
- ⑧
- ⑮
の3箇所です。
連理玉椿|地図の①のそば
こちらは八重垣神社鳥居の外側、目の前に鎮座する夫婦椿は連理玉椿呼ばれています。
見るからに見事な椿です。
日当たりのいい場所で八重垣神社を見守るようにそびえ立っていますよ。
乙女椿|地図の⑧
こちらは境内、本殿の左手にある石神神社の隣にある夫婦椿。
とても小さな椿で、乙女椿と呼ばれています。
子宝椿|地図の⑮
こちらは鏡の池に向かう途中にある、別名子宝椿です。
こちらはひょろっとした様子から、まだか弱い子供をイメージしているのでしょうか?
二葉の椿が出現した!?
とっても珍しい二葉が現れたようです。
1枚の葉っぱが2枚に分かれている様は不思議〜としかいいようがないですね!
夫婦椿の夫婦円満、子宝、美容、そして商売繁盛の御神徳はまさにパワースポット!
八重垣神社の夫婦椿、資生堂との関係などをご紹介しました。
二つの幹が一本になっていく様はまさに夫婦を象徴とした不思議な現象ですね。
夫婦円満はもとより、日本を代表する会社の成長にも大いに影響していることも興味深いところです。
八重垣神社にお越しの際には、ぜひこの3対の夫婦椿をご覧くださいね!
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