阿太加夜神社と揖夜神社:受け継がれるわら蛇と物語とお祈りと。

出雲の土地を歩くと、至る所に歴史の断片が散らばっていることに気づきます。

本日は、松江市にある阿太加夜(あだかや)神社と揖夜(いや)神社を訪ねました。
文献には残りにくい地域の風習や物語、そして時を超えて受け継がれる祈りの姿に触れる一日となりました。

目次

阿太加夜神社:遠方から来た人々と保守の系譜

 島根県松江市東出雲町出雲郷(あだかえ)の阿太加夜神社へ。
「アダカヤ」という不思議な響きを持つこの地域。
一説には「アダ」が南九州の「阿多(あた)」、「カヤ」が朝鮮半島南側の「伽耶(かや)」を指しており、
【遠方から来た人々が住んだ土地】
という意味があるのかもしれません。

遠方とのつながりを示すものとして、主祭神は阿陀加夜奴志多岐喜比賣(あだかやぬしたききひめ)命。
いわゆる宗像三女神の一人であり、つまり北九州の宗像方面から来た神でもあります。

この地に足跡を残した歴史的人人物の一人が、奈良時代の官人であり歌人でもあった門部王(かどねのおおきみ)。
彼は天武天皇の孫にあたると言われています。
天武天皇といえば、日本を二分した壬申の乱を勝ち抜き、古い勢力や伝統を守ろうとする保守的な勢力を背景に国を治めた人物でした。

門部王が国司として出雲に派遣された際、地域の豪族や勢力とうまく渡り合えたのは、彼が持つこうした保守勢力の家系のバックボーンにより、出雲の地になじんだからではないか?
なんて想像が膨らみます。

文献に残らない当たり前の文化:わら蛇と小泉八雲

阿太加夜神社で目を引くのは、拝殿に巻き付いた立派な荒神(こうじん)様と言われるわら蛇。
わらを結って大蛇をつくり、荒神木(こうじんぼく)と言われる木に巻きつけるのです。
木の根元には氏子さんの件数分だけの小さな幣が捧げられます。

初めてこのわら蛇と出会ったときにはその異様な光景に圧倒されました。
こういった風習は地域の人々によって延々と受け継がれてきました。
どの地域で氏子さんに尋ねても、誰一人ルーツを知りません。
文献にも残っていません。

ここで思い起こされるのが、明治時代に松江で活躍した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)です。
彼がなぜ高く評価されたのか?
それは、当時の日本人にとって「当たり前すぎて記録に残すまでもない日常の風景」を、異国人の目線で緻密に記録したからだと思うのです。
彼は異国情緒あふれる、ありのままの日本を海外に伝えました。
その膨大な著作は、今となっては明治当時の日本の姿を知る貴重な手がかりとなったのです。

わら蛇とは、そういった文献には残らない、この出雲の地で当たり前の光景だったのでしょう。
僕ら人間と同じような存在としての荒神さんがいて、毎年みんなで荒神さんを新しくする。
地域みんなで行う、神にささげる共同作業。
そうやって、仲間と協力して生活していたことでしょう。

現代では、機械での稲刈りが普及したため、わら蛇を作るための長い藁を確保することすら難しくなっています。
しかし、どうにかこの風習を残そうと氏子の方々が努力を続けている。
時代の変化と共に消えゆくもの、変化していくものはありますが、長い年月をかけて紡がれた日本の美しさがそこには宿っているように感じます。

風の神様も鎮座していて。。。


阿太加夜神社には風の神様(シナツヒコ)も祀られていました。

風の宮と言われる松江市、布宇(ふう)神社の級長戸辺命(シナトベノミコト)も有名。
最近では藤井風さんのファンの方が訪れることも多いそうです。
ぜひ阿太加夜神社も併せて両詣りしていただきたい。

揖夜神社:神話の恋と地震の傷跡

続いて訪れたのは、島根県松江市東出雲町揖屋。
黄泉の国の入り口(黄泉比良坂)の伝承でも知られる揖夜神社です。

境内に入ると、今年(2026年)1月の地震で鳥居の一部が崩落し、カラーコーンで立ち入りが制限されている痛々しい光景が目に飛び込んできました。
幸い大きな怪我人はなかったようですが、地域を襲った揺れの激しさを物語っています。

揖夜神社の拝殿は独特の造りをしています。
目の前の鏡に映る自分を見つめながら祈るという、特別な感覚を味わえるのです。

ご祭神は主祭神は伊弉冉命(イザナミノミコト)で、大巳貴命(オオクニヌシノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)、事代主命(コトシロヌシノミコト)も祀られています。
また、本殿横には事代主の母とされる美穂津姫(ミホツヒメ)が鎮座されています。

揖屋神社から中海を挟んだ対岸には恵比寿様の総本社と言われる美保神社があります。
こちらにも事代主とともに美穂津姫が主祭神として並んで祀られているのです。
主祭神の事代主は恵比寿様と同一視されていますが、ここには面白い物語が伝承されています。

恵比寿様が鶏を嫌い、卵を食べないわけ

美保関にいた恵比寿様は、夜な夜な船で、揖屋神社の美しい姫神さまに会いにいき、宴を楽しんでいました。
ある晩のこと、恵比寿様と姫神さまが宴を楽しんでいたところ、鶏が間違えた時間に鳴きました。
鶏の鳴き声を夜明けと勘違いした恵比寿様。
慌てて帰ったため、船の櫂(オール)を忘れてしまいました。
必死に足を櫂がわりに漕いでいたところ、ワニ(サメ)に噛まれてしまったというのです。
このため、美保関の人々は今でも鶏や卵を食べないという風習が残っています。

となると、美穂津姫とは事代主の母ではなく、妻のことでは??
なんて考えてしまいます。

韓国の神様いらっしゃる

本殿を見て右側にはミホツヒメがいらっしゃり、逆の左側には韓国伊太氐(からくにいたて)神社。
日本全国に6社しかない珍しい神社です。
韓国、まさに伽耶の地ではないですか。

出雲郷=遠方から来た人々が住んだ土地…

古くから受け継がれる祈り

参拝中に、合格祈願に訪れていた受験生に出会いました。
社務所が閉まっていても諦めず、たまたま境内を掃除していた神主さんにお願いして、おみくじを引かせてもらう彼女たちの姿は、とても微笑ましいものでした。

「受かるといいね」
と声を掛け合いながら帰っていく彼女たち。
時代が変わっても、こうした切実な祈りの場として神社が在り続ける限り、日本もまだまだ捨てたもんじゃない、と感じる一日となりました。

追記。

揖屋神社のわら蛇さんも立派だぞ!

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